2021年12月29日水曜日

ACTを通過駅としてこれからも活動していきます。

YMCA ACT運営委員 後藤 美紀

私とYMCA ACTの出会いは、1991年にさかのぼります。英会話スクールの生徒募集のチラシを手にしたことがきっかけでした。当時はビルの1階から3階を使用し、子どもから大人までたくさんの人が学んでいました。イベントも多く、パーティーは毎回盛況で先生方やスタッフの皆さん、日本語クラスの生徒さんたちとも交流を深めることができました。気軽に異文化に触れる場でもありました。

2000年ACTに運営委員会ができることとなり、会員の中から委員をということでお声がけいただきました。ACTは地域密着型のブランチではなく、通勤・通学途中に立ち寄るターミナル型のブランチで、その初代運営委員の中にミャンマー医療支援の高倉茂美さん、船山道敏さん、横浜AIDS勉強会、H.I.Voiceの岡島龍彦さん、中学校教員の渡部友晴さんがおられ、地域を持たないACTの地域活動に学校への出前授業という方向性を与えてくださいました。

2003年6月、ACT英語講師で開発教育協会「DEAR」のタスクチームとしてこのワークショップの開発に参加された新谷真知子さんのファシリテートのもと「世界がもし100人の村だったら」(以下「100人村」)のワークショップがACTにて開催されました。それがきっかけとなり新谷さんや上條直美さん(横浜中央YMCA)のお手伝いとして「100人村」に参加する機会が多くなっていきました。かねてよりAIDS文化フォーラムin横浜に参加されていた運営委員の岡島さんや、当時横浜YMCAのスタッフだった大江浩さんから「100人村」のAIDSバージョンができないかと打診がありました。作成期間が3カ月という非常にタイトなスケジュールではありましたが、2004年8月AIDS文化フォーラムin 横浜に初めてYMCA ACTとして参加しました。この時はまだ「100人村」中心のプログラムでした。横浜AIDS勉強会やH.I.Voiceに参加されていた山村まゆみさんが2005年に運営委員となり、ACT100人村(「100人村」AIDSバージョン)のメンバーになっていただきました。それによりプログラムはHIV/AIDSを中心に展開できるようになり、ACTのオリジナルになっていきました。

試行錯誤で始めたプログラムでしたが、歴代のACTのスタッフ、数多くのボランティアの皆さんがACT「100人村」にかかわってくださいました。本当にありがたいと思います。またプログラムに参加された学校の先生、生徒の皆さんからも寄せられたたくさんの意見や感想は貴重な財産でした。今では依頼主(主に中学校)の要望に合わせて、細かく対応できるプログラムに成長したと思います。

ACTのターミナルは終着駅ではないです。これからもACTを一つの通過駅として、さまざまな活動が拡がっていくと思います。


2021年12月27日月曜日

たくさんの出会いをありがとう!

YMCA ACT運営委員 齊藤 充

大学生でバイトばかりしていた私は「ボランティアは生活に余裕のある人のすること」と本気で思っていました。なぜ、そのような私がYMCAに30年近く関わることができたのかを思い返してみます。

大学時代、父の会社が倒産し、親が離婚し、借金の抵当に入った一戸建で私はひとり暮しをしていました。自由でひとりで生きるのは楽しかったですが私の栄養面を心配した叔母宅で月2-3回食事をいただいていた。叔母には一生かけて恩返ししようと思っています。

その叔母の子(従姉)がYMCA ACT(以下、ACT)の職員でした。「楽しいから手伝って」というお願いを受け入れるのは自然の流れでした。初めてYMCAに行った日、圧倒されたことは忘れられません。今思えば転機の日だったと思います。ALL横浜YMCAの英語学校夏キャンプの顔合せで、後から知りましたが、厚木のスタッフであったIさんが各YMCAから集めたリーダーたちばかりでした。東大生から鎌倉刀職人まで幅広く圧倒的な個性がぶつかり合うことに融合してキャンプが次々と決まっていきました。終わったと思ったら、即会場を移動し大激論しながら大宴会となりました。

そして、私はYMCAにはまりました。その後30年近くたった今でもYMCAに関わり続けていますし、社会人として親として、この経験は大いに役立っています。

私はYMCAの理念に最初から賛同して30年やってきたのではなく、後付けで素晴らしい理念だと理解しました。人とのつながり・きずなでやってきました。


1992年ACTの活動はKIDDY SEAGULLSで始まりましたた。私は立ち上げメンバーの中心になり、メンバーもDAYプロで100人を超え、リーダーも一気に増えました。スタッフにも恵まれ思いついた企画は実施することを認めてもらえました。横須賀ベースのアメリカ人と日本人の障がい者と英語学校の生徒で宿泊キャンプを実施したこともありました。大成功でしたが安全面が問題視されて1回で終わってしまいました。今実施したら国際的な評価を得られるような気がする。

大卒後起業を目指した私はYMCAから少し離れていましたが、ある日ACTのPARTYで高橋建太(ケンタ)さんに会ってしまいました。強烈な彼の個性におされ活動を再開しました。中心メンバーではなく、私に影響を与えた諸先輩のようにリーダーを育成することに集中しました。若手が成長する姿を見るのは大変楽しく感じました。

ユースリーダーシップ開発事業委員会(YLDC)、ワイズメンズクラブ、運営委員会にも委員として関わり、多くの個性と出会えました。

最後に、たくさんの出会いをありがとう!ACT心に永遠に!


2021年12月26日日曜日

違いを認め合い、一人ひとりを大切に過ごしていきます

YMCA ACT運営委員 岩永 めぐみ

今から約20年前、高校1年生になった頃に私はYMCA ACT(以下、ACT)を訪れました。当時は1階にも教室や講師、ロビーがあり、入った瞬間から日本語と英語が入り混じって聞こえてくるようなinternationalでopenな雰囲気だったことを今でも鮮やかに覚えています。Active Communication Terminalという名前の通り、さまざまな言語、背景、価値観を持った人びとが行き交うこの場所で、私のYMCAでの日々が始まりました。

ACTの英語のクラスには、高校1年生から高校3年生の大学入試の直前までメンバーとして参加しました。ユニークな先生たちと、さまざまな文法や表現を学びながら自分の意見を英語でoutputする授業に、通い始めてからすぐに夢中になりました。英語を通して異なる文化や歴史を知ることができた点も魅力的でしたが、何よりも自分とは異なる意見に触れ、お互いの意見を尊重し合いながら議論するという貴重な経験ができたことは大人になった今でもさまざまな場面で生かされていると感じます。

高校卒業後は、ACTのボランティアリーダーとして長く関わってきました。その中でも特に印象に残っているのは、メンバーとリーダーとの関係性です。

リーダーは、メンバーにとって家族でも先生でもない、“近所のお兄さんお姉さん“のような中間的な存在です。リーダーとメンバーが活動を共にしながら、お互いに成長していけるところが本当に好きでした。小学校で落ち着きがないと言われていた子が、ムードメーカーとして生き生きと活動に参加してくれたこと。中学校では引っ込み事案だった子が、ACTの活動では大いにリーダーシップを発揮してくれたこと。緊張とプレッシャーで泣いていた英語のキャンプの最終日、寝る時間を惜しんでたくさん練習してスピーチを成功させた高校生メンバーのこと。多くのメンバーがもがきながら挑戦し成長していきました。私がリーダー活動を長く続けられた理由は、子どもたちの挑戦を応援し近くで支えることに大きなやりがいを感じていたからです。今思えば、リーダーとしての経験が現職である高校教員という道を選んだ原点になっていたのかもしれません。

現在働いている高校には、4月に異動してきました。外国につながる生徒やLGBTの生徒、さまざまな悩みを抱えた生徒など、実に多様な生徒が集まってきています。自信が持てなかったり、将来の展望が見えなかったり、周りと上手くコミュニケーションが取れなかったり。「ちょっと不器用」な生徒たちがACTで出会った多くのメンバーたちと重なります。生徒たちが過ごす社会に出るまでの高校3年間で、彼らが自らの手で挑戦し成長できるよう、違いを認め合いながら一人ひとりを大切に、成長し合う日々を共に過ごしてきたいと考えています。

2021年12月25日土曜日

ACTでの学び活かし明日を楽しみにできる社会を創る

YMCA ACT運営委員 鈴木 ゆりり

「まずはお電話くださいね」。きれいな字で書かれたその手紙を見て、温かい雰囲気を感じたのを覚えています。恐る恐る電話をしたところ、若い女性が出て、驚いた様子とともに優しく案内をしてくれました。きれいな字の書き手は当時の館長さん、優しい声はスタッフさんでした。

それからすぐに、当時(2013年)YMCA ACT(以下、ACT)で開催されていた「SALTY」に参加しました。そこで、ACTをとりまくボランティアメンバーと初めて会い、おもしろそう!と感じたことを覚えています。また、横浜YMCAが指定管理者として管理運営をしていた踊場地区センターに行き、タイ料理の試食会にボランティアとして参加したことが、横浜YMCAとタイのYMCAとの関わりを初めて知るきっかけとなりました。YMCAのことをよく知らないまま飛び込んだ私にとって、目に飛び込んでくる情報をはじめ、YMCAと関わる人やスタッフの方たちの何もかもが新鮮で、「『社会人』の人たちってこんなに素敵でカッコいいんだ」と、ある種の衝撃を受けました。

ACTに週に一度行くことになり、スタッフの方やクラスに通うメンバーと話をしたり、プログラムの手伝いをしました。ハロウィーンやクリスマスなど、季節のプログラムが印象に残っています。

そうするうちに、チェンジ・エージェントとして活動することになり、ミャンマー医療ボランティアの旅への参加など、「ACT」を拠点にしながらさまざまな経験をさせていただきました。

年に一回開催される「One Act Day」でリーダーを任された時は、周りの方々に引っ張っていただきながら、何とか乗り越えてきた印象です。いつも余裕がない私は、楽しみよりも、必死感の方が大きかった気がします。が、終えた後の何とも言えない気持ちは爽快で、それをスタッフの方々やACTメンバーで共有し合う場も、今振り返るととても大切な時間でした。

ACTの経験を通して、社会のしくみをもっと学びたい、知りたいという欲が芽生え、世界は広くて遠いのではなく、つながっていて、もっと身近に感じていいのだ、という気づきが、自分の住み暮らす「地域」について考えること、まちづくりに取り組みたい気持ちにつながりました。今こうして「福祉のまちづくり」に仕事として取り組んでいるすべてのきっかけが、このMy ACT storyにあります。

2021年12月24日金曜日

10年間の出会いと経験に感謝します

YMCA ACT 運営委員 小西 陸

私とYMCAとの関係は高校1年生になる15歳の春からです。今年25歳になるのでもう10年くらいの付き合いになります。最初は月曜日午後7時からの英会話クラスの生徒としてJack先生とTodd先生に楽しく、時にはスパルタに英語力とアウトプット力を鍛えてもらいました。

そのような私がYMCA ACT(以下、ACT)のリーダーとして活動をはじめたのは高校3年生の冬でした。当時の私は早々に進路も決定し、車の免許も取り終わっていい具合に時間がありました。そんな時に、Jack先生からOne ACT Day(以下、OAD)の手伝いをしないか、と声をかけてもらいました。

10代の私は、頭もフットワークも軽く、「楽しいことができれば…!」と軽い気持ちで参加しました。ケンタリーダーやカナリーダー、コジローリーターという年上のリーダーによく声をかけていただき、今までにない経験でした。初めて知らない世界の大人と関わり、みんなで協力しながらモノを作るという経験がとても刺激的で、「楽しかった」と感じました。だからACTのリーダーになることも即決しました。

それから大学生になって、4年間毎年、(青少年育成基金にお世話になりつつ)何かしらのYMCAの国際イベントに参加しました。最初に参加したAPAY (Asia Pacific Alliance of YMCAs)大会で初めて、ACTの生徒として高校3年間学んできた英語を使い、自分の力の足りなさを自覚しました。それから、モラトリアムのつもりで通っていた大学の授業も意味を持つようになりました。

さらに、英語キャンプECGL (English Camp for Global Leadership)のリーダー活動がなければ、英語を鍛えることもなかっただろうと思います。初参加以降のECGLではチューターよりも運営サポートとしてのポジションに立ちましたが、それでも大学4年間、英語を鍛えた一番の要因は、年末のECGLのためという意味合いが大きいと思います。

そして、念願のリーダーとしてのOAD参加もできました。社会人リーダーのプロジェクトの進め方や人の動かし方などは、社会人になった私からするとまさに目から鱗だと思います。

ACTのリーダーとしての10年間で得ることのできた出会いと経験の全てに感謝いたします。ありがとう、そして、これからもどうぞよろしく。

2021年12月23日木曜日

今も大切にしているACTでのフラットな接し方

YMCA ACT運営委員 畑中 十夢

YMCA ACT(以下、ACT)での活動を通じて、一人の人間としての成長をさせてもらえたと思っています。これまでさまざまなイベントの企画に参加しました。One Act Day(オープンハウス)、植樹活動、Kids向けイベント、キャンプ、ECGL (English Camp for Global Leadership)など数え切れません。企画する中で、多くのメンバーたちと、どうしたら良いイベントを作ることができるかを毎週、何時間も議論しました。毎回スムーズに議論が進むことはまず無く、毎回意見の対立や、場合によってはけんかをしていました(笑)。そうした中で、自分の意見をアウトプットする(自分の頭で考える)、リーダーとして行動する(自分の役割や責任を全うする)、チームワークを大事にする、じっくり議論した後に皆で食事に行く(ミーティングでどれだけ揉めても皆で楽しくご飯を食べて心機一転、次のミーティングも楽しむ)、やるからには全力で取り組む…など。人生全体として大切なことをACTでの実体験を通じて学べたと思っています。社会人として仕事をする中でも、それは大いに役立っています。会社では、お互いがここまでストレートに気持ちを交わし合い、プライベートでも仲良くするというのはなかなか難しいと思います。ACTだからこそできた貴重な経験だと思います。人との出会い、皆で何かを一緒にやるということは、無限の可能性を持っているなと思いました。

また、学生時代からACTの活動に参加する中で、さまざまな年代の人たちと話すことができました。学校では、基本的に同じ年代の人しかおらず視野が狭くなるところがあると思います。ACTで自分よりはるかに多くの経験を積んでいる方たちの話を聞くことで、自分の今後を考える上でたくさんの刺激をもらえました。フラットに接するということは、社会人生活の中で自分が後輩と接する時にも大切にしています。

ACTでの経験が無ければ、今の自分はなかったと思います。20代半ばくらいまでACTで多くの時間を過ごしてきましたが、自分の未熟な言動にも辛抱強く真正面から接してくださった皆さんに感謝しています。ACTでの出会いを大切にして、今後も皆さんとACTの外でも何らかの活動を続けれていければと思っています。

2021年12月22日水曜日

ACTでの学び活かし明日を楽しみにできる社会を創る

YMCA ACT リーダー 遠藤 まどかさん

「あの人たち、楽しそうだな。私もあの輪の中に入りたいな」YMCA ACT(以下、ACT)の活動を始めたのは、そんな単純な動機でした。

ある団体のプロジェクトに参加して、そこから紹介された別の活動に参加して、さらにそこに来ていたリーダーから声をかけられて…そんな不思議なつながりでACTを訪れたのは16歳くらいの時でした。

ACTに集まるリーダーたちを見て、これが「友だち」でなく「仲間」なのかぁと思うとともに、私の目にリーダーたちが輝いて見えました。

まだ大人と話す機会も多くない歳からのリーダー活動は、電話応対からプログラム費の予算立て・タスク・スケジュール管理など多くのスキルを身に着ける機会になりましたが、やはり「知って・感じて・考える」Kiddy Seagulls(キディシーガルズ)のテーマが私の中に根付きました。このことは、その後における私の人生において大きな意味を成したように思います。

身近なところから海の向こう側のことまで日々いろいろなことが起きる中、眼をつぶることは簡単です。自分が何もしなくてもきっと私は今日を無事に生きられます。でもそれで満足?今起きていることに、今生きている人に、今の自分ができること、やりたいことは何?自分が描きたいのはどんな未来?何気ない選択は何にどう影響する?日常にそのような意識をするようになりました。

その結果、重度の皮膚疾患をもつ娘を育てた経験から同様の患者と家族のサポート活動を10年以上行い、現在は2団体の代表を務めています。

さらに、コロナ禍の影響を受ける企業や団体が多い中、福祉事業所の販路確保のため事業所製品を複数団体合わせてSNSにて販売する活動を、昨秋から始めました。ネット販売に手をかけるゆとりがない事業所の代わりを担うことで販売が可能となり、また、セット販売することで品数の少ない小さな事業所も大きな事業所も共に生産機会を増やすことができます。一方、買い手は事業所のさまざまな個性ある商品を一度に楽しむことができるのです。私が作りたいことは、ひとりでも多くの人が、明日が来ることを楽しみにできる社会です。悩んだ時は、リーダーミーティングだったら誰がどんな意見を言っていただろうかとイメージしつつ、今日も全力で生きています。

開館当初の想いで ACT Visionについて

初代館長 長澤 勲 (1986年-1989年)

YMCA ACTは、1.横浜YMCA全体のインフォメーションセンターとして 2.語学教育の拡充 3.国際協力等の3点がコンセプトにありました。そこで、何かそれらにふさわしい施設として、アピールすべきものはないかと思いを巡らした。1980年代には北米のCNNが衛星放送で日本にも届いたので、これをニュースとしていつでも映像を流し、聞けないかと思いを巡らした。そこで、ACT Visonいう100インチを超える大型プロジェクターによる受信を実現しました。これには、当時大日本印刷の理解と協力無しには実現できませんでした。当時プロジェクターで背後から映して前方で観るためには、特殊なスクリーンが必要でした。当時テレビのニュース番組の中で映像が映し出されていたあの仕掛けこそ、大日本印刷が開発した特殊スクリーンで120万円でしたが、YMCAのスクリーンの予算は10万円でした。何としても実現したく交渉を始めました。YMCAはミッションのある国際協力や支援をする団体であり、単なる語学教育団体ではないこと。スクリーンに世界の出来事を瞬時に映し出せること、YMCAの国際協力等が映し出されることの意義についてのご理解を願い、大日本印刷に数10回と通い、その思いを伝えご理解とご協力が得られて実現しました。加えて全日制日本語学校もスタートさせました。当時としては、横浜駅西口に位置した都市型YMCAとしてかなりモダンな施設でした。

2021年12月21日火曜日

ACTは私のホームの一つ

YMCA ACT リーダー 大内めぐみ

YMCA ACT(以下、ACT)には、私の語学学習の歴史が詰まっています。
今のEnglish Speakerとしての私があるのは、ACTのおかげです。

中学生時代には、メインの英語授業以外にも、川久保先生にサポートしていただき英語スピーチコンテストに参加することもできました。
ACTで習う語学は基本的な学習だけにとどまらず、「いかに正確に早くリスポンスし、コミュニケーションを取るか」と言うレベルが高く、実践的なものでした。
読み書きだけではカバーできないスピーキング力は、今では私の自慢のスキルのひとつです。

ACTでは語学の勉強以外にも、さまざまなインプット、アウトプットの場をいただきました。自分が行ったことない国の知らない現状や、逆に私の経験をお伝えする機会をいただけたことは、Active Communication Terminalだからこそできたことと思います。
「ACT の Terminalとしての役割を広げたい!」と思い実験的にスタートしたACT Cafeでは多くのスタッフの方やメンバーたちに支えられ、イベントを実行する難しさと達成感を学びました。いつも私のアイデアやわがままを形にする手助けをしてくださる皆様には、本当に感謝しかありません。

学生時代は一生徒として、そして卒業後はボランティアメンバーとして過ごし、ACTは私のホームの一つとなっていました。
そんなACTが今回なくなってしまうと聞き、本当にさみしく思います。
私自身がどれだけACTに恩返しができたか分かりませんが、たくさんの思い出はいつまでも大切な宝物です。

私たちはどこにいてもACTのメンバーです。私は胸を張って、そう自慢できます。
そして、これで全て終わり、ではないのがYMCA ACT。
さまざまな人と人とを結びつけてきたこの場所はなくなってしまいますが、ここでできたきずなやつながりはなくなることはないと、信じています。
Thank you for all the loving memories.
Let’s begin our new journey, together! 

Meg


YMCA ACTへの想い

第2代館長 島田 茂(1990年-1993年)

私がACTの館長をさせていただいたのは、横浜YMCA語学教育事業共同化推進戦略の4年目となる1990年4月から、私が突然化膿性椎間板炎で衣笠病院に入院し、ご迷惑をおかけした1993年11月迄の約3年半でした。館長になり先ず近隣の教会を訪問させていただき、YMCAに期待することを牧師の方々から伺いました。多文化共生の拠点として期待される牧師の方もおられましたが、ある牧師の方からは、日曜日の活動に対してなど厳しい批判を受けました。横浜駅に近い拠点としての在り方を考えさせられました。

記録に残したい活動としては、横浜YMCA語学教育の拠点として故松本晴雅主事のパートナーで外国人スタッフとして貢献してくださったジャニス・松本氏(現在、再婚されシカゴ在住)が企画したランゲージマラソンの実施、語学留学準備コース開設、第1回・第2回日本MBAフォーラムの企画・運営、日本語教材の作成などがあります。スタッフ・講師の方々とさまざまな事業を開発することに携わることができ、感謝の日々でした。


2021年12月20日月曜日

今でも役にっているACTで培った考え方・価値観

YMCA ACTリーダー 亀之園 祥平

初めてYMCA ACT(以下、ACT)に行ったのは高校2年生の頃。子どもたちを連れてキャンプにいけるという話を聞き、面白そうだなと、1999年にちんじゅうリーダー、さきいかリーダーについていったのが始まりでした。

高校生から社会人までいるシーガルズ(seagulls)という集まりで、とても温かく迎えられ、毎週のように集まって準備を重ね、無事キャンプが成功に終わった時の達成感と高揚感は、今でもよく思い出せます。目標のために準備を重ね、成し遂げることの喜びを教えてくれた原体験はまさにこれだと思います。

ACTはとても小さな空間ですが、そこに集まるリーダー、スタッフ、英会話講師、会員、運営委員の方々、さまざまな背景のある人たちが集い、触れ合いがあり、顔の見える関係が出来る、とてもアットホーム(かつインターナショナル)な場所でした。そういった親密な空気の中でのびのびと活動させてもらったことが、社会に対して、世界に対して前向きな気持ちを私の中に作ってくれたように思います。またボランティアin タイやRomford YMCAのSummer schoolなど海外での活動の機会を通じ、どんな人たちとも共に過ごし、活動する中で、出身国などは関係なく気持ちを通じ、親しくなれるということに、実感をもって気づくことができました。

現在の私はシンガポールに住み、現地に本拠地をおく海運会社に勤めています。自社の船隊をいかに安全に、効率よく運航するかは、世界各地の港湾関係者や荷主との協力が不可欠で、時には競合他社ともうまく助け合うことが求められます。信頼関係が非常に重要で、”you will meet people twice”という格言があるほど。(一度出会った人とはまたどこかで再び出会うから、決してどんな相手にも無礼をしてはいけない、という意味)。相手の文化や背景を尊重し、その上で最善策を探るといったことが求められる機会において、ACTで培った考え方、価値観は非常に役に立っています。

多国籍な同僚たちとのコミュニケーションにしても、仕事上のトラブルにしても(海運業はささいなトラブルは日常茶飯事)、誰かや何かのせいにするのではなく、自らもう一歩踏み込んで知り、思いを巡らすことで、物事の別の面が見えてきて解決に至るということが多々あります。

シーガルズ(seagulls)で長年掲げていた『知って、感じて、考えよう!』のスローガンは、名言であると思います。

横浜を離れて12年もの時が経ってしまいましたが、ACTはふとした時に自らを見返し、立ち返る場所として今も私の中で存在しています。


地域社会におけるACTの働きと私の想い

第3代館長 岩邉 俊久 (1994年-1997年)

1986年4月YMCA ACTのオープニングは鮮烈で、国際化が急速に進む中、多文化交流促進と情報発信、かつ国際的人材を養成し繋ぐActive Communication Terminalとなるミッションのもと、通訳会議室、英語と日本語学校事業、国際と広報部の活動を開始しました。開設記念講演は著名ジャーナリストの筑紫哲也氏、作家の高史明氏等まさにACTは最先端を行く開拓者。通訳者養成、留学コースは米国を中心に留学生を多数輩出、日本語学校生との多彩な国際交流。さらに国際理解、多文化、人権、開発、環境活動を通じ平和構築に寄与するユースリーダー育成。1989年9-12月に私は横浜YMCAからニューヨークYMCAへ派遣され、米国の教育調査、YMCA地域活動、YMCAスピリットに大いに刺激を受け、帰国後はその経験をYMCA活動に還元するよう努めました。ACTはこれまで地域、日本、世界で課題に向き合う人材を大勢送り出し、その方々が現在各地で活躍しています。






2021年12月19日日曜日

自分が一番自分らしくいられる場所

YMCA ACT リーダー 木村 真理子

私がリーダーになったのは高校一年生の時(1995年)。英会話が終わって帰ろうと思った時、一階の教室からなにやら話し声が聞こえました。どう見ても英語のクラスではなく、かなりの大声で何かをディベートしているように見えました。「あれはYMCA ACT のリーダーたちで、今度ある行事にむけてミーティング中なんだよ」とスタッフの方が教えてくれました。「ちょっと見てみる?」と部屋に案内された。確か制服の人もいたし、社会人みたいな人もいて、私はなぜかとても強く興味を感じて、一度参加させてもらうことにしました。その時は、私のかけがえのない居場所になるとは思ってもいませんでした。また、これから親友となる人がそこにいるとも知りませんでした。リーダー活動は、とても楽しくて、刺激的でした・異なった年代、職業、性格の人間が集まり、一つの目標のために熱く語って作り上げていく姿が良い意味で衝撃的で、毎日がとても楽しかったです。たくさん笑って、泣いて、議論しました。何か物足りない自分の人生に光が差した気がしました。

子どもたちとの関係性も、ただ遊んで楽しむだけではなく、そこからこんなことを感じ取ってほしい、大切な価値観を伝えたい、と常に考えながら寄り添い。とても素晴らしい活動だな、と感じました。

ところで今でもずっと大切にしているのは、あるリーダーから教わったDorothy Law Nolteの「こども」という詩です。

”批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる” -と始まり
“可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じとることをおぼえる”
と終わります。

今でも子どもだけでなく大人と関わる時、このこと考えながら、コミュニケーションをするように努めています。そして、添付している絵は、留学する前の送別会でいただいたもので、わたしの宝物です。何度でも見るたびに笑顔にさせてくれる。今思い返してもACTは、そしてそこで出会った仲間は私の人生で自分が一番自分らしくいられる場所だった、と心から思います。感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。


YMCA ACTに集う人びと

第4・7代館長  梶谷 和宏 (1997年-2000年,2010年-2011年)

横浜YMCAでの勤務時代、私は2度YMCA ACT(以下、ACT)の館長をさせていただきました。組織の中で働く者として大切な労働要素に「loyalty」があります。日本語にすると忠誠心となってしまうのですが、柔らかくいうならば、『自分の働いている事業所を愛し、そこで行う事業の繁栄を願い一生懸命働く気持ち』となるでしょうか。あくまでも私見ではありますが、ACTに集う会員、ボランティア、運営委員、リーダーの方々、そして職員は「ACTのためにがんばりたい」という気持ちがとても強く「loyalty」が高かったのではないでしょうか。

インターナショナルパーティーやバザーを開催すると、どこからともなく人がやってきて、小さなYMCAは異様な活況を呈していました。皆が旧知の間柄であるかのように笑顔で語り合っていた光景が今でもはっきり思い起こされます。この垣根の低さは「共に生きる」ことを提唱するYMCAの精神を具現化していたのではないかと思っています。YMCAのプログラム会員ではない人も、loyaltyをもってYMCA ACTの活動に関わっていたのです。


時代の流れの中で社会はさまざまな要素が変遷し、ACTはその活動の使命を終えることになりました。館長を6年間務めた者として、この寂寥感は言葉にならないものがあります。しかしながらACTで大切な時を経験したメンバーたちは、きっと異なった形でYMCAの会員活動を継続していってくださるのでしょう。私も自分自身を育んでくれたACTに心から感謝しています。

 

2021年12月18日土曜日

今も生きる思考の根源

YMCA ACT リーダー 高橋ふゆ子

私のYMCAとの出会いは大学生のころ、今から30年以上も前です。最初は語学の野外学習キャンプでの子どもたちの引率や語学教室の受付だったと覚えています。

その後、横浜YMCAに就職が決まり、配属先がYMCA ACT(以下、ACT)でした。
児童英語教室を中心に活動・推進に取り組み、さらに深くGlobalな組織であることを認識し、人のニーズに応える教育を通して、YMCAにしか出来ないGlobalを感じる教育機会を構築することに重きを置いて必死にイベント内容を考案し、時には失敗しながらも何とか実現させていったことを思い出します。これらの体験を通して、人をまとめる力、一貫した目標「Globalな感覚を養う、地球を身近に感じる場所づくり」からブレないことの大切さが身についたと思っています。

その後、オーストラリアの会社の日本支社でさまざまな国の人と一緒に国際イベントの構築や国際会議の開催などの仕事に就きました。これは正にACTで得たGlobalな意識、感覚から違和感なく取り組んだ仕事であり、自分の中では継続であり、成長でした。
その後、GE Healthcare、現在のRecycle Pointでも根本的な考え方や目標は常にブレずに進んできたと思っています。世界の人のニーズに応えながら、人びとの生活環境の向上、地球環境の改善への貢献、一人でも多くの人にそれを実感してもらう活動というブレない目標はACTとの出会いが根源です。

そして、今は会社の統括という立場になり、多くのスタッフをまとめて事業を成長出来ていること、お客様と従業員の共感の環から成り立つ経営もACTでの体験が根っこにあり、全てにおいての自分の行動、思考の根本の部分にはACTでの人との関わり、Globalな感覚が生きています。

今、3人の子どもたちの母として、子どもたちにも、地球を身近に感じる人になるよう、世界は広くつながっていることを当然として知っている人になるよう、ブレない目標を一つ貫ける人になるよう仕向けて教育してきました。ACTで身についた思考の根源が今も生き、そして未来にもつながっていきます。

ACTが無くなってしまうことは寂しいですが、ACTがなくなっても、体の芯に生き続けていく感覚も同時に感じるのです。経験は本当の意味で一生の宝物であり、さらなる未来に向けての成長の源です。

ACTでの経験が力となって、今、会社をまとめるような立場にいます。そして、これからも人や地球環境を守る共感の環を少しづつ広げていける未来があるとも思います。
心からの感謝を込めて、素晴らしい体験をさせていただけたこと、本当にありがとうございました。


素晴らしい出会いと地域を超えたコミュニティーを育む力

第5代館長 薄井 佳代 (2001年-2006年)

横浜駅西口のオフィス街という立地条件、交通の中継点でもあることから、YMCA ACTに集う人びとは区、市、県を超えて集まっていました。ACTで最初に担当させていただいたのは日本語クラスでした。当時は22カ国から多くの方がACTで学ばれていました。ACTにとっての地域は、地域を超えた「コミュニティー」という印象がありました。語学を学ぶ目的は、夢の実現、相手を分かりたい、自分を伝えたい、そこで生活していく自信を持ちたい、などさまざまだと思いますが、コミュニティーを形成する歯車の一つでありたいという思いの表れではないかと思うのです。ACTは語学事業の他にもユースのボランティア活動などを通して、すべての人の人権が尊重され、アイデンティティーの喪失なく、それぞれの生活する地域で安心して暮らし、コミュニティーを育んでいく力を持つことができることを願っていたと思います。私は実に15年間ACTにおりました。素晴らしい出会いがたくさんあったACTは、いつまでも私の大切な宝物です。

2021年12月17日金曜日

ACTの学びは今の源泉に

YMCA ACTリーダー 瀧川響子

私がYMCA ACT(以下、ACT)の活動に参加したのは、香港から帰国したての中学生の時でした。当時は日本の学校に溶け込めず、もやもやした日々を過ごしていました。そのような時にグローバルな交流ができるACTで、広い世界を見せてもらい、まだまだ子どもながらも社会人や大学生と混ざり、一リーダーとして活動できたことで、たくさんの知見や自信を得ることができました。この自信は、自分の道を切り開くときの力になっていると感じます。

そしてイベント等を通して人との関わりの大切さを学びました。リーダー同志はもちろん外部の協力も得て、それぞれの個性を生かして想像以上のものを作り上げていくことができました。そうした中で、人びとの交流が生み出す無限の可能性のようなものを感じました。総括すれば、人との関わり方、人や自分の可能性の引き出し方を学べたのではないかと思います。

現在、私は記者として毎日さまざまなニュースを発信しております。まだ2年目の新人記者ですが、記者に必要な「人の何かを引き出す力」の源泉には、ACTで培ってきた「広い視野を持つ」「人とのかかわりを大事にする」という在り方があるように感じています。

報道という性質上、人によって正義が異なるものや、マイナスな側面がある問題に触れることが多くあります。しかし固定の観点にとらわれずに、取材などを通して直接人と関わる中で社会にポジティブなものを見出し、それをまとめあげ発信していくことができるようになってきていると思います。そのためか昨今は「瀧川さんだから伝えたい」と案件をいただく機会も増えてきましたし、「瀧川さんのおかげでニュースの印象が変わった」「良い報道だった」と言ってもらえることもありました。

名残惜しくはありますがACTという場所はなくなってしまいます。しかし、ここで得た経験、自信や仲間がいなくなるわけではありません。それならば、ここで得た仲間と交流を続け、培ったものを持って進み続けていれば、それはある意味ACTが存り続けているともいえるのではないでしょうか。

ACTでお世話になった皆様、これまでどうもありがとうございました。そして今後もよろしくお願いします。


地域社会におけるACTの働きと私の想い

第6代館長 石川 義彦 (2007年-2009年)

YMCA ACTは地域社会において、グローバルな視野をもちコミュニケーション力を磨いてスペシャリストや社会に貢献する人を輩出するセンターでした。

近くのホテルに滞在されて迷った外国人が立ち寄りやすい場所にあり、成人の語学クラスを中心に国際文化の学びや交流が多い国際センターでしたので、全国YMCAの語学事業の象徴的なセンターの役割も担っていました。国際交流パーティーは多くの近隣の外国人も訪れ、100名近くもの参加者であふれていました。中高生英語クラスが終わった学生とその友人が、子どもたちの体験活動を行うボランティアを中心に、募金活動や海外キャンプ引率、国際カンファレンスなどに積極的に関わり、国際感覚がある若いボランティアリーダーが育ちました。会員からボランティアリーダー、そして運営委員や社会人ボランティアへという、メンバーシップ・バイ・デザイン(プログラム参加者から担い手会員へ)の体現が豊かにされている拠点でした。

YMCAを通して多くの人材が育っていったことに感謝し、今後もYMCAの働きに関わっていただければと願っています。そして祈りとともに、神様によってこの地に蒔かれた種は、必要な時期に必要とされた場所に蒔かれ、思いや願いがこれからも新たな場所で根付いていくことを願っています。


2021年12月16日木曜日

「微力ではあるが、無力ではない」に勇気づけられて

YMCA ACTリーダー 廿 麻乃

2001年に、リーダーとしてYMCA ACTに関わりはじめ、シーガルズ(seagulls)として2007年ごろまで関わっていました。

YMCA ACT(以下、ACT)での活動経験は、今の私の考え方の土台を作っています。高校から大学時代にボランティアリーダーとして、さまざまなプログラムに参加するだけでなく計画から携わることができました。大人になる前にこれらの経験をしたことが、世界の見方や向き合い方について考える機会となりました。

ACTにいる人たちは皆、一人ひとりの意見に耳を傾け、自分の思っていることがなかなか言語化できなくても、無理矢理言わせたり、馬鹿にしたりせずに聞いてくれました。年齢や立場に関係なく、まず受け止めてくれました。そのような環境の中で、相手の話に耳を傾けること、自分自身の意見を持ち、表現することの大切さを実感できました。

ボランティアリーダーの仲間、スタッフ等と一緒に活動する中で得たものは、他の人たちと一緒にプログラムを作り上げていくことの楽しさです。まず、活動の目的を共有するためのミーティングをたくさん行い、それを受けて、1回のプログラムを作るために、それぞれがテーマに沿って考えたり調べたりしてアイデアを持ち寄り、意見を出し合い、より良いプログラムになるように準備し実行してきました。さまざまな意見が出ることで、面白いもの、ワクワクするものが生まれました。一つのプログラムを実施するために、それぞれが自分の役割を持って、その役割を果たすために動くことは、チームで働く上で大切なことであると教わりました。

現在、私は短大で講師をしています。学生とどのように向き合うか、授業をどのように組み立てるかといった考え方のベースの一つには、ACTの活動があります。また、短大というチームの一員としての役割を担っていきたいと考えています。しかし、現状は「上の職位の決定は覆されない・前年通りに」がルールとなっている傾向が強いように感じています。より良い方向へ向かうことが難しいように感じる時もありますが、そのような時に思い出す言葉が、活動の中で出会った「微力ではあるが、無力ではない」という言葉です。自分一人が何かしてもしょうがない、と思ってしまいがちですが「一人の力は無力ではない」という言葉に日々力づけられています。


Active Communication Terminal

第8代館長 平野 絹絵 (2012年-2019年)

YMCA ACTの地域活動に特化して振り返ってみると、運営委員・ユースリーダーが中心となり、非常勤職員・講師、職員とみんなで力を合わせて実施していました。18歳初の選挙権!の2016年には、憲法学者を招いた後援会、戦後70年の年(2015年)には、在日一世を描いた映画「花はんめ」の監督を招いた上映会とトークショー、ナガサキでの体験を伺った講演会「祈りのナガサキ」の他、インターナショナル・パーティーやACT Café、名作映画上映などリーダーや非常勤講師が企画や、共に実施した数々のプログラムを開催しました。「ONE ACT DAY」、「100人村AIDSバージョン」とともに、「東北支援」もACTを代表する地域活動でした。朝日新聞「プロメテウスの罠」の記者とそこに登場する障がい者の方を仙台からお呼びし講演会を行ったこと、東北出身の職員が撮りためた写真を運営委員会で発表した直後、「みんなで行こう」と委員の方の声があがりました。以降、みんなで「震災を忘れない、私たちに何ができるのか」という視点で何度も東北を訪れ、横浜からできる支援として電力、放射能、食、命へと学びが広がり、アジア学院訪問での学びへとつながる活発な活動を続けてきた「Active Communication Terminal」(YMCA ACT)でした。


2021年12月15日水曜日

「ACTと私」

YMCA ACTリーダー 山上 愛子

私は、YMCA ACT(以下、ACT)の活動を通じて、多くの学びがあり、また一生涯の仲間と出逢えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。年齢、職業を問わず、さまざまな人と関わる機会があり、同年代とのコミュニティーが中心だった私にとって、視野を広げるきっかけになりました。本当にありがとうございました。

ACTで学んだことで、今も拠り所とする価値観は、2つあります。

1つは、ひとつの想いが合わされば10にもなること。周りと協力することにより、良いシナジーが生まれ、一人ではできない大きなことを達成できることです。もう1つは、リーダーの在り方は多様であっていいことです。

一つ活動を例にすると、OPEN HOUSEというチャリティーイベントのプロジェクトリーダーを務めた時のことです。テーマを決めて、半年程度の期間、ミーティングを重ね、スタッフ、リーダーたちと議論を重ねました。厳しい指摘をたくさん受け、時に逃げ出したいと思ったことも多々ありました。私は、みんなを取りまとめることに長けているタイプではないため、自分自身がリーダーとして統率することが不適切なのではないかと思い悩むこともありました。また、この活動を通じて実感したことは、始めから完璧なリーダーはいない、自分で全てを背負うことではなく、その活動に集う一人ひとりが強みを最大限に活かせるようサポートしたり、補強し合えばいいということです。リーダーには、いろいろなタイプがいていいことを学びました。ミーティングを重ねるごとに、みんなの想いが一つになり、スタッフの方々、リーダーにもフォローをしてもらい、当日イベントでは、たくさんの募金を募ることができました。一人ではできないことをみんなの力で成し得た活動の一つでした。

現在、私は会計コンサルティング会社の管理部門で働いています。管理部門のどの業務においても、ACTで培った経験や価値観が、日々の仕事を進める上で役立っていて、いつも自分の核としてあります。