2019年4月8日月曜日

看護師の私が福島に移住した理由

YMCA ACT・東日本大震災復興支援プログラム 報告

突然ですが、皆さんは、一番ちかい原子力発電所から何kmのところに住んでいますか?

3月9日(土)
トークイベント『看護師の私が福島に移住した理由』
と題して、福島県南相馬市に住んでいらっしゃる南原摩利(なんばらまり)さん(カリタス南相馬スタッフ<https://caritas.ctvc.jp/>)からお話を伺いました。

「福島第一原発から○○km圏内の方は避難してください」と言われても、当時自分が何㎞圏内に住んでいるか知らないからどうしたらよいかわからなかった。
そんな現地の方の声を直接聞いた南原さん。

冒頭の問いかけに、
私は恥ずかしながら答えられませんでした。

*****

今回のプログラムでは、名古屋で看護師をされていた南原さんが福島に移り住むに至るまでのできごとや想い、現地の方々との交わりの中で聞こえてくる声・現状、避難解除の実態や災害時のメンタルヘルス、放射線に関する基礎知識などさまざまな視点からお話しいただきました。

震災による直接死が多い宮城や岩手に比べ、福島では今も震災関連死が増え続けているそうです。

ご自身の経験から、
「たった一人でも自分のことを気にかけてくれる人がいれば死に至らない」
と信じ、自分がその「一人」となって孤独死を少しでも減らすために活動を決意された南原さん。
その決意の裏には、以前担当されていた患者さんがのこされた
「あなたが伝えていかないとだめよ」という遺言があったそうです。
そのため、南原さんは依頼があればできるだけそれに応えて各地で福島のことを伝えていらっしゃいます。

<現地の方々の声、現状>

ー原発さえなければ避難区域ごとにばらばらにならず地域協力ができたのに…
ーせっかく育てて放射線量をきちんと測った野菜でも、福島の野菜となると孫には食べさせないでくれと言われる(…家族が分断される)
ー住み慣れた家に戻ったら、高血圧やうつが治った
ー避難先の小学校でいじめられるから、保護者が事前に学校の先生に相談して「福島出身」ということは誰にも言わないと決めた
ー地元でない県外の人にだから話しやすいことがある
―国や行政は何人戻ってくるか、を競い合っている。数字でなく、どこであっても幸せに安心して暮らせているか、を調べればよいのに…
ー「震災のおかげ」と言ったらあれだけど、普段出会えない人と出会うことができた
ー幼稚園の園庭にあるのは人工の砂でサラサラのため、お団子も作れない。昨年ようやくお芋堀りの機会があったとき、子どもたちは本物の土を掘ることができなかった
ー一時帰宅した人がそこで自死した。家の荒れ果てた状況を見て、絶望的になったんだと思う。その気持ちがよくわかる

これまで生の声をたくさん聞いてこられた南原さんのお話に、心が痛んだり、ハッとさせられたり、「終わったこと」「他人事」ではないということを改めて強く考えさせられました。
2/24~3月末まで福島訪問時の写真展を実施しました

カリタス南相馬で活動している『和みサロン 眞こころ』
の皆さんが、かわいらしい草履のキーホルダーを
送ってくださいました!YMCA受付で配布中(お気持ち募金)
後半30分は参加者の感想を輪になって読み回し、それぞれに短くコメントを書き足していく形式でシェアリングのひとときを分かち合いました。

参加した方々からは
「初めて知った情報も多く心に響きました」
「様々な説の中から自分がどう情報を受け止めていくかが大事だと感じた」
「離れた場所からでもできることを考える」
「安心・安全 ⇔ 危険。どちらを誇張しても苦しむ人がいる…」
「現地に行かれずにいるので、まずお話をうかがえて良かったです。訪問したいです」
などの声が寄せられました。

皆さんも、ご自身の家に一番近い原発はどこで、何km圏内なのか、ぜひ調べてみていただければと思います。
一度用意した避難グッズも、非常食の賞味期限は切れていないでしょうか?(私は先日チェックしたら期限が3年前の缶詰がありました…)毎年チェックし、期限内に美味しく食べて新しいお気に入りの非常食を見つけるのも良いと思います。

今日という日は、震災から8年という日ではなく、次の大震災が起きる前日かもしれないという意識でいたい(福島のフリーアナウンサーの言葉)、と伝えてくださった南原さんの言葉を忘れずに日々歩みたいと思います。
(YMCA ACT 茂澤)