2021年12月27日月曜日

たくさんの出会いをありがとう!

YMCA ACT運営委員 齊藤 充

大学生でバイトばかりしていた私は「ボランティアは生活に余裕のある人のすること」と本気で思っていました。なぜ、そのような私がYMCAに30年近く関わることができたのかを思い返してみます。

大学時代、父の会社が倒産し、親が離婚し、借金の抵当に入った一戸建で私はひとり暮しをしていました。自由でひとりで生きるのは楽しかったですが私の栄養面を心配した叔母宅で月2-3回食事をいただいていた。叔母には一生かけて恩返ししようと思っています。

その叔母の子(従姉)がYMCA ACT(以下、ACT)の職員でした。「楽しいから手伝って」というお願いを受け入れるのは自然の流れでした。初めてYMCAに行った日、圧倒されたことは忘れられません。今思えば転機の日だったと思います。ALL横浜YMCAの英語学校夏キャンプの顔合せで、後から知りましたが、厚木のスタッフであったIさんが各YMCAから集めたリーダーたちばかりでした。東大生から鎌倉刀職人まで幅広く圧倒的な個性がぶつかり合うことに融合してキャンプが次々と決まっていきました。終わったと思ったら、即会場を移動し大激論しながら大宴会となりました。

そして、私はYMCAにはまりました。その後30年近くたった今でもYMCAに関わり続けていますし、社会人として親として、この経験は大いに役立っています。

私はYMCAの理念に最初から賛同して30年やってきたのではなく、後付けで素晴らしい理念だと理解しました。人とのつながり・きずなでやってきました。


1992年ACTの活動はKIDDY SEAGULLSで始まりましたた。私は立ち上げメンバーの中心になり、メンバーもDAYプロで100人を超え、リーダーも一気に増えました。スタッフにも恵まれ思いついた企画は実施することを認めてもらえました。横須賀ベースのアメリカ人と日本人の障がい者と英語学校の生徒で宿泊キャンプを実施したこともありました。大成功でしたが安全面が問題視されて1回で終わってしまいました。今実施したら国際的な評価を得られるような気がする。

大卒後起業を目指した私はYMCAから少し離れていましたが、ある日ACTのPARTYで高橋建太(ケンタ)さんに会ってしまいました。強烈な彼の個性におされ活動を再開しました。中心メンバーではなく、私に影響を与えた諸先輩のようにリーダーを育成することに集中しました。若手が成長する姿を見るのは大変楽しく感じました。

ユースリーダーシップ開発事業委員会(YLDC)、ワイズメンズクラブ、運営委員会にも委員として関わり、多くの個性と出会えました。

最後に、たくさんの出会いをありがとう!ACT心に永遠に!